因果応報

東洋仏教思想から、自己責任を考えて見ましょう。
因果応報と言う言葉があります。因があれば縁があります。これは物理学の法則のようなものです。なぜならこの世の修羅万象の法則の中に生きているからです。もしこの中に生きていなければ、自己責任は無いのです。なぜなら、何も存在しないからです。ビックバン以前ともいえるわけです。

仏教思想では、無我というのは、我を宇宙に広げる事です。
無我というのは、我が無い事ではありません。壮大な最大の強い我を持つという事です。ですから、無我だと自己責任が無いと言う事ではないのです。それは神様や仏様に繋がっているということでも無いのです。自分の我そのものが神や仏でもあるわけです。

仏教では全宇宙は一つの物理的な集合体と見なします。まあ、現代物理学でも同じですね。重力の法則は火星でも地球でも同じように働きます。修羅万象です。ですから、因果です。

その物理的な全宇宙(アミタと言います)の背景に、それを満たすアマラを考えます。これは精神であり、我であり、魂でもあるわけですが、もっと普遍的な概念、仏です。
あまねくアミタに、あまねくアマラです。これが因果の背景になるわけです。自己のなした事に自己が責任を取らなければならない背景です。

わかりやすく言うと、生命体の中の一部がなした責任は、他の一部の責任では無く、因があった部分の責任で、因果応報です。
ですから、縁(通俗的に言う縁ではありません)によって、責任が帰りますし、取らなければならないのです。そうでなければ、知らんといって済ますことが出来るのですけどね。

ちなみに蛇足ですが、悪行を為したものが地獄に落ちるのは、神様や仏様によって裁かれるのでは無く、周りに及ぼす影響により、一種の自分自身の免疫反応のようなもので、その重みで落ちて行くのです。

アミタとアマラのページを参照。

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