六芒星は、ダビデのマークで有名ですが、基本的にはイスラエルのマークになったのは、時代的に新しく、六芒星そのものは、古代から存在していました。
日本でもかごめ紋として、古くから知られた紋章です。上向きの三角と下向きの三角を合わせたマークで、陰陽を現し、男女融合の象徴とも言われます。
そのかごめ紋が不思議な所に刻印されています。
石燈篭の六芒星
さて、このマークが、伊勢神宮の内宮と外宮と伊雑宮とを結ぶ数多くの石燈篭に刻印されていたのは、ご存じでしょうか。(石燈篭は老朽化のために撤去されてしまいました。)
この石燈篭は平成天皇のご成婚記念に寄進などによって作られたものですが、宮内庁によって指導された物であろうことは想像できます。それでなければ、勝手に公道におびただしい数を建立出来るはずもありません。
当時、これに関しての質問に、宮内庁はノーコメントあるいは、作った石燈篭屋の紋章に過ぎない、と答えたとの事ですが、製作元では宮内庁の指示によるものと、回答していたとの事です。
実はこれは伊雑宮の神紋です。なぜ内宮と外宮と伊雑宮を結ぶおびただしい石燈篭に、伊雑宮の紋章が刻印されたのか、さらになぜ、この三社を結ぶ必要があったのか。不思議です。
先代旧事、あるいは先代旧事本紀という古代書をご存じでしょうか。
聖徳太子によって編纂された歴史書、そして、予言書です。太子一族が蘇我氏によって滅ぼされた時、一緒に破棄されてしまった書物です。(その後、日本書紀が正本とされ、先代旧事は闇に葬り去られる事になります。江戸時代には禁書とされていました。)しかし、写本の一部が、古いお寺などに存在し、盛んに研究されています。残念な事に一部の巻は失われてしまっていますが。
その先代旧事に驚くべき事が書かれているのです。
伊雑宮こそが日の神の本宮であり、外宮は月の神、内宮は星の神に過ぎないと言うのです。(この事は伊雑宮の神書にも書かれている事で、幕府に訴え出た伊雑宮の神官が、世を惑わす罪で何人も処刑されています。)
宮内庁の指導によって、石燈篭によって、三宮が結ばれ、その石燈篭に伊雑宮の神紋である六芒星が刻印された事、これは宮内庁によって、先代旧事の正当性、伊雑宮こそが、天照大神の本宮であると確認された事ではないでしょうか。
簡単には覆せないでしょうが、何十年か後には、先代旧事本紀が日本書紀を否定し、伊雑宮が伊勢神宮の正当な本宮に成るのかも知れません。伊勢に行かれたおりには、伊雑宮にも立ち寄られるのも、一考かも知れませんね。
近くには天岩戸と呼ばれる景勝地もあります。
また、神路川が近くを流れています。まさに神の道の川という名付けです。リアス式海岸が近くにあり、まさに海の物と山の物が混在一体になっている地です。
神話でここは「美味し国」なので、ここに鎮座するという神託があったとされますが、今の伊勢神宮の地より、伊雑宮の地の方がしっくりとします。