アミタとアマラ

宇宙は一つのアミタであり、その心がアマラ

この世界は、宇宙は一つの繋がり。仏教哲学ではあまねくアミタといいます。

山も海も樹木も貴方も私も空も、一体のアミタです。アミタは物質の世界を現します。
「一つは全体、全体は一つ。我は、東方にあり、西方にあり、地上にあり、天上にあり、我は、全世界なり。それは汝なり。」インドのバラモンたちは、こう表現しました。

小さな世界で言えば、原子核内部の構造も、大きな世界で言えば、宇宙空間の巨大な天体も、フラクタルな入れ子構造で、一つの中に全体の類型があり、全体の中に一つの類型があります。この事はアミタという存在を物語っています。

あなたの小さな細胞の一つが全部のあなたであり、全体のあなたも一つの細胞なのです。
そして、突き詰めれば宇宙のどの部分にも自分(というもの)が存在します。分かり難いかも知れませんが、同じ一つのシステムと言い換えても良いかも知れません。

そして、当然のようにアミタには精神が在ります。人にも身体と心があるように。
これは八百万の神々、すべての物に神が宿るという神道の思想とも少し似通っています。これをアマラと言います。
もちろんアミタがそうですので、アマラはすべて繋がっています。

つまり、宇宙は一つの巨大な生命体なのです。
あまねくアミタにある、あまねくアマラです。一つは全体、全体は一つ。小さな部分は相互扶助、相互依存、そして、強大な精神を作っているのです。
そして又、小さな部分の中に巨大な精神があり、巨大な精神の中に一つの小さな精神があります。
そのフラクタルな生命体には当然、自己保存能力、本能があります。

全体の中に一つがあり、一つの中に全体がありますので、有益な部分は浮かびます。なぜなら小さな部分の中にも全体があるからです。
そして、その反対であれば重みによって沈み、そして、さらに害のある部分は、さらに深く重く奈落の底へ落ちていきます。

仏教哲学による極楽と地獄の概念は、この巨大な生命体のこの自己保存能力によって説明されます。
現代のキリスト教で言う天国とは微妙な違いがあります。良い事をしたから極楽に、悪を成したから罰により地獄に落ちると言うものでは、元々無いのです。
自分の中に全宇宙があり、その全宇宙に対する重みによって左右されます。

天上天下唯我独尊。(すべてが我であり、我もまたすべてであり、そして尊い。)この言葉も同じ事を言っています。

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