かごめかごめの意味解き、その壮大な謎

かごめかごめの歌に隠された壮大な秘密に迫ります。
かごめの詩にはこの世の秘密の一端を封じ込めてあります。かごめを知ればあなたの人生が変わるかも知れません。

かごめの歌

かごめかごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
夜明けの晩に
つるとかめがすべった
後ろの正面だあれ

不思議な歌ですね。
俗説では、心ない人によって、流産の歌とか言われたりしますが、そのような俗っぽいものでは、さらさらなく、ずいぶん古い時代から伝わっているもののようです。
一説には「桜は天に舞い、蓮は海に散る」の句で有名な天海僧正の作とも言われますが、もっと古いと言う説もあります。

意味解き

もちろん、かごめと言うのは、籠目であり、籠は竹冠に龍。竹で作った龍が絡まるようなものです。
龍と言うのは伝説上の生き物ですが、現すのは、神聖な力であり、神や神社です。神社の手水場には、必ず龍がいますよね。さらに、古くは竹垣でわざわざ囲む建物や地は、神社など、神聖なものの地、神域でした。

籠目は籠目紋のことでもあり、六芒星を参照して下さい。
更に、しめ縄は龍や蛇の絡んだ姿を示しています。鏡餅もとぐろを巻いている姿の象徴です。この歌の現している物が、ぼんやりと分かって来たかと思います。

かごのなかのとりは、籠の中の鳥というのは、神社の中の鳥。不死鳥、つまり鳳凰ですね。
とりではなく、とりい、鳥居と解釈する事も出来ます。いずれにしても、神社の事を示しているのは、明らかな感じがします。

いついつでやるは、いつ飛翔するのか。又は、いつ出現するのか。それとも、いっついである、一対である。ふたつあるの意味だとも取れます。

夜明けの晩は、夜明けと晩で、一日中。又は夜明けの暗いうち、深夜。人間の精神の高揚する時間。又は、日食。天の岩戸の伝説の話しと解釈する事も出来ますが、この話の大きさから言えば、大きな歴史的背景の夜明けとも言うべき時代の、晩のようなひと時、あるいは、いずれ夜が明けるような時代が来る前の、晩のような時代と解釈します。

つるとかめがすべった。つると亀は、二本足と四本足、赤ん坊から大人。又は天と地の象徴。肉体と空をかける精神の対比を現すなどが考えられます。
すべったは転換した、反転したとも取れますが、統った(すべった)、つまり、統治したということです。
統べると言う言葉は、古語では普通に使う言い方です。足がすべったみたいに解釈する方が不自然ですね。

この繋がりから、考えられることは、支配したのは、空のつる、地の亀、天と地であり、空間、物質界、あるいは俗世界を言っているのかも知れません。すると前の夜明けの晩と言うのが、時間を言っていますので、次の句のつると亀が空間を現しています。歌の構成としては有り得る話しです。

これらから言えることは、神社の中にいる偉大なものは、いつ出るんだろう。又は、その偉大なものは、一対の物だよということでしょうか。
夜明けの時代の前の晩のような時代は、つると亀(空間、物質界の象徴?)が統治していたと、背景が示されています。
これを踏まえながら、次の句の解釈を読んで見てください。

後ろの正面だれ
後ろの正面とは何の事でしょう。前後の反転です。

通常、神社には実は何もありません。鏡が祭ってあります。
なんのことは無い。鏡に写った自分の姿を見て、自分自身が合わせ鏡の用になって、祈っているのです。
後ろの正面だれ? つまり、自分自身だよって、言っているのです。祈る対象も神も自分自身の中にいると示しているようです。又はそれらは一対のものであると。
鏡の不思議と秘密を参照。

仏教でも同じ意味のことが言われます。仏は自らの中にいる。さらに、現代のキリスト教では異端の考え方ですが、滅びた古代のキリスト教の一派の中には、神は汝の中にいると、唱えていたふしがあります。

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