リスクとは性質

リスクとリターン

リスクという言葉は、独特の響きを持っています。人により「それにはリスクがある」という判断だけで、近づいてはいけないことを意味しています。また人により「リスクを恐れるな」と乗り越えるべきものと判断されます。

「甘い蜜には毒がある」、「美しいばらにはとげがある」、これらは一般的なリスクに対する認識を示している言葉です。禁断の木の実、魅力と恐怖です。「ハイリスク、ハイリターン」も似たような言葉ですが、やや、冒険的な色彩があります。また、「ローリスク、ローリターン」という言葉もあります。安心感と安定感を感じさせます。

では、「ローリスク、ハイリターン」は、あるのでしょうか。逆に「ハイリスク、ローリターン」は、あるのでしょうか。
リスクとリターンは、完全には把握できないものですが、もちろん存在します。「ハイリスク、ローリターン」は、いわゆる割りに合わない事です。実際の社会では、結構多く存在するのではないでしょうか。こういった割りに合わない仕事に付いている人も多いですね。一兵卒として前線に出ることなど、その最たる事かも知れません。

「ローリスク、ハイリターン」は、たとえば大金持の養子になる事などが、それに当たるかも知れませんね。ただ、先程も書きましたが、リスクは完全に把握できないものですので、どんなリスクが潜んでいるか分かりません。相続争いに巻き込まれて、たいへんな事になるかも知れませんね。結婚のリスクとリターンはどうでしょう。書きにくい話しですね。

現実の社会では、リスクとリターンのみでは計れません。チャンスがあるかと言うこともありますし、生きがいや、やりがいといったこともありますし、人の感じ方、能力と言った側面もあります。

ただ、リスクの無いものは、この世に無いと言った事だけは確かです。極端ですが、人は生きているかぎり、今その時に、死んでしまうかも知れないのです。では生命保険に入って置けば良いのでしょうか。いや、死なないリスクがあります。保障に回る部分の掛け金は、死ななかったら全く無駄になるからです。

投資の世界では一定

では投資の世界ではどうでしょう。チャンスはほとんどの場合、誰にでも平等です。それに投資をするか、しないかも自由ですし、大抵の投資家は表面上合理的に行動します。

当然、比較的にですが、「ハイリスク、ローリターン」のような割りに合わないものは、投資対象とは成らず、見向きもされません。
そして、自由な市場であれば、「ローリスク、ハイリターン」の度合が強いものが求められ、その度合の低いものは売られます。すると「ローリスク、ハイリターン」の度合の強いものの価格は上昇し、リスクは上昇し、リターンは減少します。度合の低いものは、その逆になります。このようにそれぞれのリスクにおいて納得できるリターンの水準に成ります。

ですから当然、リスクとリターンの関係の比較において、大体は釣り合ったものになります。ハイリスクのものはハイリターンに、ローリスクのものはローリターンに、ミドルリスクのものはミドルリターンに落ち着くわけです。

また、そうならないものは投資対象から外され、投資の世界では存在をしなくなります。合理的に納得できる水準のものが残るわけですし、納得できる水準の投資商品が開発されるわけです。(一部には理屈に合わないものも過渡期的に存在しますので注意。)

リスクとリターンの関係において、損得は常に一定です。どのようなリスクがあるかは、その投資対象の性質、性格というわけです。
もちろんすべてのリスクは把握できないものですし、状況によってリスクが増したり、リターンが増したり(そう思われたり)します。しかし、その都度、お得なものは買われ、比較的損に思えるものは売られて、一定と思われる水準に落ち着きます。

これこそが相場ともいえるわけです。そのつり合いが今、大多数の人が思っているものと違う方向に動く(動いた、動くと将来大多数の人が判断する)その一歩先に動けば、大きなリターンを手にする事も出来るわけです。(これが大多数の人と同じ行動を取る事が、投資の世界ではリターンを生み難い理由です。)

但し、リスクの種類は大変たくさんあります。状況によって大きく重視されるリスク、重視されないリスクがありますが、別項目で。

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